Vol.7 これまでの経験は、この挑戦のためにあった
江川先生たちの目標は単なる医療施設ではなく、研究施設と、きちんとした無菌培養設備のある医療施設でした。
当時実施していた免疫細胞治療は、まだまだ十分に有効なものとはいえず、もっと改良する必要がありました。そのためには、治療をすると同時に改良・開発をするための研究室を備えた設備が必要だったのです。
そんな中、江川先生たちは、ある企業の社員寮だった世田谷区内の建物が使う目的もないまま空き家になっているということを知りました。広い芝生の庭が付いた半円形3階建ての瀟洒な建物でした。こんなところで診療や研究ができたら素晴らしいと思える場所でしたが、当時、資金に余裕がなく、自分たちには手が届かないと溜息をついていました。
しかし、ある日、その企業の役員と会った際に、ダメ元で自分たちの計画をぶつけてみたところ、「そのように意義のあることに使われるのでしたら、あの建物と土地は必要経費ぐらいの賃貸料でお貸ししましょう」という返事が帰ってきました。
そんな幸運にめぐり合い、資金面でもベンチャー支援の公的資金を借り入れることができ、ついに1999年3月、瀬田クリニックの開院にこぎつけました。3階建ての1階は外来だけのクリニック、2階は培養室とオフィス、集会室、3階は全体が研究室という作りでした。
こういう特殊なクリニックが経営的に成り立つものかどうか、前途に大きな不安ももちろんあったようです。しかし、
誰もやらないなら、自分がやるしかない。
その志を江川先生は貫きました。
これまでの経歴は、このクリニックを創るためにあったのかもしれない。
江川先生は、そう思えてなりませんでした。
そしておそらく、江川先生に賛同した同志も、そう思っていたに違いありません。